「文」を「作」る、という事
産経新聞: 千葉の県立高入試で“難問” 受験生の半数0点 道案内の作文、選択肢に混乱
文章を書く事に興味があるので、この話にも興味を持った。
まず、前提として「問題が正確にどのような物だったのか
わからない(報道にある事のみ)」上で書く事になってしまう
が、それでも「この問題、そんなに難しいだろうか?」と思う。
記事にあるように出題者の意図が問題から判断しにくいため、
得点を得るのは必ずしも簡単ではないかもしれない。
実際、このくらいの情報を元に私が書いたとしたら、
かなり力を入れて書いたとしても、余裕で0点になりそうな
予感がする。
ただ、「テストの得点を取る」と言う事をあまり考えなければ、
「文を作る」と言う行為そのものはそんなに難しい事だろうか、
と思うのだ。
このテストのケースの場合、
・限られた時間
・限られた文書(文字)量
で、
・目的とする内容
・要求される表現
を基に文章を組み立てなければならない。
まさに「文」を「作る」、「作文」が必要になる。
条件などは単語や短い文章になる事が多いが、
それらを単純につなぎ合わせても「文」にはならない。
「機械翻訳の日本語訳」とか、「英会話能力の無い人が
話す英語」をイメージすると良い。
じゃあどうすればよいか?私が最近特に思うのは、
これって「ある程度経験がないとダメかも」というものだ。
「文」を「作る」には誰にでも有効な特効薬的手法なんて
存在しないのではないか、そう思えてならない。
もちろん、部品のようになった言葉をより効率よく
組み立てる手法とか、逆に部品単位に分解する際の
手法とか、そう言った物はある。でもこれらはどんな
条件でも有効な特効薬とはならない。
前置きが長くなってしまったが、私はこの試験、
問題点が無いじゃない、とは言ってもやっぱり良い問題
だったのではないか、そう思うのです。
おおよそ社会人となると文章を作成する必要に
さらされるケースが多いです。そう考えると決して
無駄じゃない、そう思えてなりません。
個人的には・・・読書感想文とかを書かせるのも
良いですが、書く習慣をつける点ではむしろ教育現場に
ブログ導入なんて面白いのかも?!なんてのは・・・
ちょっと突飛、ですかねぇ。
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