「正義」が実行しにくい世の中
女高生に少年4人で痴漢、乗客の大人は見て見ぬふり : 読売新聞
言いたい事はよく解る。なぜ見て見ぬふりなのだ。
ただ、見て見ぬふりしかできなかった人だって、きっと
苦しかったのでは無かろうか。無論、見て見ぬふりをして
良いはずなど無い。でも、見て見ぬふり「しか出来ない」
事を私はどうしても責める事が出来ない。
昔ならこんな事をしていたら周りがまず注意した。
注意されたらまず従うし、周りもそれに協力する用意、
雰囲気があっただろう。
ただ、現代がそうか、と言うとそう言いきれないと思う。
実際にその場面にいたのでは無い以上、正確な所は
わからない。だが、高校生位が4人。そんな事をするような
連中だ、当然見ただけでわかるような「たちの悪い」
連中だったのだろう。
その様な状況で注意をする。とてもすばらしい事だとは
思う。だが、それが原因でその「たちの悪い連中」から
何かされたりしないだろうか。そう考えても仕方ないように
思う。そうで無くても注意した相手に逆上して・・・などという
話はニュースとして良く聞く。
自分は何も出来なかった。悪い事が行われていて、
それをただす事が出来たはずなのに何も出来なかった。
結果として「無言での共犯」となってしまった罪の意識は
きっと「何も出来なかった大人たち」に残るのではないか。
自分だったらどうだろうか。注意をする事が出来ただろうか。
「見て見ぬふりしかしない大人」にならずにいただろうか。
正直に言う。
私には注意をする、と言いきれる自信が無い。
そして、注意をする、と言いきれない以上、この
「何も出来なかった大人たち」を非難する事が私には出来ない。
願わくば、「批判が出来る」と言いきれる人が現代の
世の中の多数である事、私の臆病さを批判する人が
日本の世の趨勢である事を願いたい。
【2004.12.01 08:39 追記】
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Comments
支離滅裂さん:
トラックバックありがとうございました。
二重になっていたようなのでリンク先が存在しない
方のトラックバックを削除させてもらいました。
御了承してあげて下さい。
Posted by: G.Leader | 2004.12.02 08:44