「統計」が「正しい」とは限らない

消費者の4割が次世代DVDレコーダーに興味がある
http://ascii.jp/elem/000/000/040/40142/index.html?jpm

次世代DVD、興味あるが買わない――みずほ総研調べ
http://it.nikkei.co.jp/digital/news/index.aspx?n=NN001Y640%2004062007

 この二つのタイトル、受ける印象がずいぶん
違いますが、実は記事の元になった統計は
全く同じ物です。

 最初の記事だと「消費者の4割も次世代DVDに
興味がある、つまり普及は時間の問題」という
かなり積極的に欲しい印象に取れますし、
後の記事だと「興味無いって訳じゃないけど
買わないな」という消極的な印象を受けます。

 統計というのは恣意的な統計(サンプルを
思いっきり偏らせているとか数が異様に少ないとか)
でも無い限り、普通は事実が現れている、
はずです。

 でも、統計というのは切り取り方でかなり
印象が異なってしまいます。まして、それを
伝えるとなれば伝え方一つで統計ではなくただの
伝言ゲームになってしまう恐れすらあります。

 ニュースに良くあるこれら統計、統計が元だから
ってむやみに信用せず、自分で理解するように
努めないといけませんね。


・・・私の印象としては。確かに
価格が普及を妨げているネックのひとつに
なっているのは事実ですが、次世代DVDには
画質以外現行DVDを上回るメリットが
(少なくとも消費者には)ありませんから、
たとえ価格が安くなったからって積極的に
買うようになるとは思えないです。

#むしろ携帯性とかのほうがよほど重要でしょう。
 画質を気にする人がワンセグ(明らかに画質の
 面では不利)携帯を喜んで買うとは思えません。
 「携帯でいつでもテレビを見る事ができる」
 といった画質以外のメリットに魅力を感じて
 いるからだと思います。

 それに、ただ画質よくなりました、だけで
すでに持っているDVDソフトを次世代DVDに
買いなおしてくれるとは、とても思えない
です。

#提供するメーカー側はそれを狙っているの
 でしょうけれど。

 画質以外メリットが無く、消費者には価格も
使い勝手も確実に悪くなる次世代DVDは、
このままだとSDカードみたいなメディアに
駆逐されるのではないか、と私は思っています

・・・って、こりゃ統計を基にした考察とは
とてもいえないな><

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育たないと言うより、育てない


 会社で面白い話が掲示されていた。
いわく、「教育などした所で人材は育たない」と言うのだ。

#個人的にはこのような内容を多くの人が見ることのできる場所に掲示する行為そのものに
 疑問を感じる。「おまえは生まれつきダメなんだ。」等と言われて奮起しようと
 思う者がいったいどれだけいるというのだ。

 ヤクルトの古田捕手。楽天の野村監督の愛弟子とも呼ばれるが、彼も野村監督が
育てたと言うより元々素材が良かったから、だというのだ。その証拠に野村監督の
実の息子、カツノリ捕手は明らかに古田捕手に及ばない、と例まであげていた。

 育てようとするのは無駄だという。正確には、見込みの無い人間を育てようとした
所で無駄、育つ見込みのあるものだけを企業は採用しないといけない、という。

 これだけ聞くと、そうかもなぁ、と思ってしまうが、冷静に考えるとずいぶん
極論だと思える。

 野球で喩えるなら。あの王監督は最初三振王、と呼ばれていた。それが自身の努力と
周りの人の助力など、いろいろな物もあって世界のホームラン王、と呼ばれるまでに
なった。

 これは王監督の持つ素材が良かったから。そうかもしれない。ただ、そんな見方を
している人が『三振王』と呼ばれている人間の素質を見出そう、どうにかしようなどと
考えるだろうか。

 人材は育たないのではない。もともとの素養がすべてでもない。
ではなにが違うか。なにが差を分けるのか。

 育てる側の技量だ。人を育てるというのは想像以上に能力が必要だ。それにその分野に
精通しているだけでなく『育てる事』そのものに対する能力というのも存在する。

 そしてなにより、日本では圧倒的に人を育てる事を軽視する傾向がある。
野球など良い例ではないか。若い人をこつこつ育て、実績をあげる監督なんてあまりに
少ないから、野村監督のようにその分野でも有名になってしまうのだ。これが
育てる能力のある人がごろごろしていたら、別に取り上げられる事も無いだろう。

 でも実際は、お金でよその球団から引っ張ってきて、結果長続きせずに終わる。
某球団に限らず、どこも似たような物ではないか。

 選手と同じくらいの年俸をもらっている監督、コーチがなぜごろごろといないのか。
人を育てる事、それを行う人を評価できない限り、どんな分野であろうと長続きなどしない。

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"No." or "Yes, but..."


 転職を決意する経験からじゃあまったく何も学ぶ事は無かったか、
というとそんなことも無くて。

 それからなるべく気をつけていることが有ります。
それは否定のしかた、です。

 何かする際に相手の意見を否定しないといけないケースは
良くあります。でも、単に否定する、たとえば、

「いやだめだ。そうではなくて・・・」

 なんてやったらどうなるか。よほどで無い限り良い気分は
しないでしょう。そもそも自分を否定されて愉快な人間など、
そうはいないはずです。

 ならどうするか。タイトルのように"Yes, but..."としてみる。

「そうだな。でもこうしたらどうだ?たとえば・・・」

 こう言うわけです。単に「否定」するのではなく。
相手の意見は認める。その上で「だがこうしたらどうだ?」
という、「認めて、提案」するわけです。

 何でもこの、"Yes, but..."という言い回し、外国の方だと
コーチングのような研修を受けた方はもちろん、ごく一般的な
会話でも使われるそうですが、日本語だとあまり使っている
ケースが多く無い気がするので、ぜひともこんな考え方が
多くなっていってほしい、そう思います。

・・・ま、私も実際にはなかなか難しいんですけどね。

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索敵能力を強化しよう!(主旨間違)

@IT情報マネジメント:質問力を鍛えて問題発見能力を強化しよう! 1/2

 @ITネタその1。

 なるほどねぇ、むやみやたらに「どうしたらいい?」なんて
聞いても「わかんない」って言われるだけだけれど、それに
対する手法というかテクニックってのも存在する物なんだ。

 メモじゃメモ。

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人間(ひと)が生きるには短すぎる


 先週、勤続(n:nは正の自然数)周年の記念品をもらうとか何とか。
そのとき、ちょっと考えてみた。

 まぁ、今後仮に定年が延びたとしても、そんなものすごい事には
ならないだろうから60歳まで、と言うラインは区切りとしてありだろう。
さて。

 仮に20歳で仕事を始めたとすれば、30歳ですでに1/4が過ぎて
しまっている。下手すると1/3くらいの人もいるかもしれない。

 さぁ考えろ。今まで何してきた?これから何するつもりだ?

 20歳から60歳まで40年、子供の頃は永遠にすら思えた年月を
実際に生きるようになってしまうと、なんと短いものか。
こんな短い間に何ができると言うんだ。じっくり考えたり、立ち止まって
周りを見渡す時間や余裕すらないんじゃないのか、これでは。

 たまには立ち止まるのも良い。振り返ったり、後戻りだってしても
構わない、そう思う。でも、それでも残された時間そのものがどうやら
少ないみたいだ。

 人間が生きるには、人間が何か為すには人間の一生というのは
あまりに短い。だったら形振り(なりふり・・・合ってる?!)構うな。

 思いきっていってみろ。なんかあったら、ちゃんと見ていてやるから。

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